「ラッキー」はどこからやって来るのかを考えた話

 運のいい人はいるのか?

運が均等に巡って来るとして、でも「運がいい」という人がいるように思いませんか。

例えば、受験生が試験を受けて、合否を待っていたとしましょう。

成績がギリギリで、正に1点が大切という状況です。

すると、「合格」という大きな結果も「1点多かった」ということで手にはいります。

つまり、「1点」というラッキーがどのタイミングで巡って来たのかによって、結果が大きく変わってしまいます。

一方、10個入りの肉団子を3人で食べて、自分だけ「4個」食べられた。

確かに他の人よりも「1個」多かったのでラッキーに変わりありませんが、このタイミングで良かったのかというと、アンラッキーなのかも知れません。

自分にとって運命を決めるような場面に巡って来たラッキーは、同じ1回だとしても影響が大きく、日常の些細な場面ではラッキーにも気づかないかも知れません。

「嗚呼、そうそう傘を忘れるところだった!」

電車から降りる時に、脇に置いた傘を忘れずに持って帰れたらラッキーですが、もしかするとそんな「気づき」は形を変えたラッキーなのかも知れません。

傘を忘れなかったことが、どれだけ「ラッキー」なのかは人それぞれですが、お気に入りだから本当に助かったと思う人もいれば、そろそろ買い替えを考えていたタイミングで、ラッキーをここで使って勿体ないと思う人もいるでしょう。

「いいこと」をする

何かいいことをたくさんすると、それがポイントのような感じで、「ラッキー」と交換できたら面白くないですか。

ただ、「いいこと」というのは、自分のためではなく、誰かのため。

そして、その誰かにとってどれだけ「価値あること」かが大切だとしたら話は変わります。

例えば、さっきの場面で、傘を忘れて残念だったとしましょう。

でもその傘が巡り巡って誰かに使われることになり、その人にとても役立ったとします。

するとその人は誰かに話はしなくても、「この傘を使うようになって何かラッキーだよな」と思ったとします。

ということは、その傘はとても誰か役に立ったということ。

傘を誤って忘れたことで。

つまり、ある場面だけでみると、それはアンラッキーなこと。

でももう時系列を広げると、アンラッキーな出来事がラッキーを招くキッカケになっていたりします。

ラッキーな人とそうではない人の違い

自分がラッキーな人ではないと感じるのは、些細なことにラッキーを使って、それが別の誰にも役立っていない人です。

一方で、ラッキーな人は、知らない誰かにラッキーと思えることをたくさん提供し、ポイントがたくさん集まってさらに望むようなタイミングでラッキーを引き寄せます。

例えば、「この試験に合格したい!」と思った時に、1点の重みに幸不幸を感じる人がいました。

でもラッキーな人はもう少し前からラッキーを引き寄せていて、例えば自分の性格や勉強スタイルに合った先生や学校と巡り合っているのです。

もっと逆算すると、高校受験では第一希望ではなかったけれど、その3年間でいろんな経験をし、本当に叶えたい夢が見つかった時にラッキーを引き寄せられたらどうでしょうか。

それとは違い、高校受験で1点の重みを感じて希望校に入れた後、その学校に馴染めずに何となく卒業した人は、あるタイミングで冷蔵庫にプリンを見つけて「ラッキー」を使います。

馴染めないこと以外は、特に不満もない生活を過ごしているので、アンラッキーな人生ではないでしょう。

でも、不合格という結果から運を引き寄せて、結果的に大きな夢を掴んだ人はいろんなことが合ってもラッキーに思える人生です。

ラッキーをどう引き寄せるか?

何か上手くことが進んだ時に、「良かった」と満足する一方で、「ラッキーをここで使った」と自覚しなければいけません。

特に個人的なことだとしたら、ラッキーポイントは減っただけです。

せめて、誰かの役に立ってくれたら、あとでポイントが戻って来るかも知れません。

ある場面で思うようにことが運ばなかった時、「アンラッキー」だったと思ってはいけません。

ここで考えるべきは、「なぜ思うように運ばなかったのか?」を考えること。

例えば志望校に合格できなかった時に、最後の最後まで頑張り抜けなかった自分が原因なら、「頑張り抜く大切さ」を学んだはずです。

次は頑張り抜き、それでダメなら仕方ないと思えるまでやり切ってみることです。

もう一つは、その方法しかなかったのか?ということ。

つまり、志望校を選んだ理由が何だったのかということ。

別の方法や別の選択肢が自分にとってさらに良かったということもあります。

つまり、志望校に不合格だったことがアンラッキーではなく、ラッキーのキッカケになっているパターンです。

そしてその後に本当に望む結果を得られたら、それはトータルでラッキーを引き寄せたことになります。

思うにラッキーは誰にも同じくらい巡って来ていて、でもそれをどこでどう活かすかはそれぞれで違います。

意味ないことや個人的なことに使っていると、肝心なタイミングではラッキーがやって来ません。

ここまでやり切ったから、あとは結果を待つだけだというくらい願っていたら、ラッキーを引き寄せることができるかも知れません。

もしも叶わなかったとしても、経験値や知識、周りの人の温かさに気づくことでしょう。

「残念だったね。でもよく頑張った」

そんな風に誰かに思ってもらえたら、「頑張る意味」をその人に伝えられたはずです。

何より、今に悩む人がいて、「頑張ってみようよ。昔、めちゃくちゃ頑張ったけど失敗して、その時は落ち込んだけど、今はいい経験だったと思っている」と、きっといつか話せる時が来ます。

成功体験ばかりが大切なのではなく、失敗から学び、今がラッキーになっていたらそれが一番です。

何もかもに満たされることをラッキーと呼ぶのではなく、「今日も一日、ありがとう」と思えるようになれば、ラッキーは大切な時に巡って来てくれると思います。